荒木優希(10) 将来は野球選手か居酒屋をやりたい。陸前高田市気仙町 2012
荒木優希(10) 将来は野球選手か居酒屋をやりたい。陸前高田市気仙町 2012
岡田文太(12) 風邪を引いて寝ていた。14:35頃起きてコタツに入った時に被災した。陸前高田市小友町 2011
岡田文太(12) 風邪を引いて寝ていた。14:35頃起きてコタツに入った時に被災した。陸前高田市小友町 2011
千葉朱絵(10) 習い事があるので母親の迎えを待っているときに地震がきた。陸前高田市小友町 2011
千葉朱絵(10) 習い事があるので母親の迎えを待っているときに地震がきた。陸前高田市小友町 2011
吉田若奈(14) 卒業式の前日だったので、3年生の教室を飾っていた。将来は笑顔をいっぱい見たいので、助産師になりたい。陸前高田市小友町 2011
吉田若奈(14) 卒業式の前日だったので、3年生の教室を飾っていた。将来は笑顔をいっぱい見たいので、助産師になりたい。陸前高田市小友町 2011
戸羽颯太(12) 夏休みにサッカーで選ばれて、韓国に遠征した。陸前高田市高田町 2011
戸羽颯太(12) 夏休みにサッカーで選ばれて、韓国に遠征した。陸前高田市高田町 2011
田口晃那(8) 帰りの会で机の下に潜った。習っていたから、習字を書く人になりたい。陸前高田市高田町 2011
田口晃那(8) 帰りの会で机の下に潜った。習っていたから、習字を書く人になりたい。陸前高田市高田町 2011
戸羽達希(12) 家庭科の調理実習の計画を立てているときに揺れた。陸前高田市高田町 2012
戸羽達希(12) 家庭科の調理実習の計画を立てているときに揺れた。陸前高田市高田町 2012
久保蒼磨(9) 「将来なりたいもの? えー、ない。決まってない」陸前高田市米崎町 2011
久保蒼磨(9) 「将来なりたいもの? えー、ない。決まってない」陸前高田市米崎町 2011
亀井あかり(7) 将来は服のデザイナーかお花屋さんになりたい。陸前高田市高田町 2011
亀井あかり(7) 将来は服のデザイナーかお花屋さんになりたい。陸前高田市高田町 2011
鈴木廉(9) サッカー選手になりたい。給食では肉が好き。陸前高田市米崎町 2013
鈴木廉(9) サッカー選手になりたい。給食では肉が好き。陸前高田市米崎町 2013
佐藤あかり(8) 3人弟妹の長女。父は仮設住宅自治会長でカキを育てる漁師。陸前高田市米崎町 2011
佐藤あかり(8) 3人弟妹の長女。父は仮設住宅自治会長でカキを育てる漁師。陸前高田市米崎町 2011
田中二夢(10) 双子の野球少年。同級生は無事だったが、祖父が津波で亡くなった。陸前高田市気仙町 2011
田中二夢(10) 双子の野球少年。同級生は無事だったが、祖父が津波で亡くなった。陸前高田市気仙町 2011
松野将太(10) 弟が1人。学校内の仮設住宅で暮らすので通学は約1分。 陸前高田市竹駒町 2012
松野将太(10) 弟が1人。学校内の仮設住宅で暮らすので通学は約1分。 陸前高田市竹駒町 2012
菅野はるき(9) お兄ちゃんからは将来ギタリストになれって言われた。陸前高田市米崎町 2013
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千葉一絵(13) みんなで集まれる場所が外にはない。陸前高田市小友町 2012
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熊谷瞬(12) 中学校の校庭に作られた仮設住宅に住む。将来は特になりたいものはない。算数は好きだが、社会は嫌い。陸前高田市高田町 2011
熊谷瞬(12) 中学校の校庭に作られた仮設住宅に住む。将来は特になりたいものはない。算数は好きだが、社会は嫌い。陸前高田市高田町 2011
菅野朔太郎(12) サッカー少年。震災の日は母親の車で津波から逃げた。陸前高田市高田町 2011
菅野朔太郎(12) サッカー少年。震災の日は母親の車で津波から逃げた。陸前高田市高田町 2011
千葉晃(7) 学校帰りで踏切を友達と歩いているときに揺れた。怖くてしゃがみ込んで母親の迎えを待った。陸前高田市小友町 2011
千葉晃(7) 学校帰りで踏切を友達と歩いているときに揺れた。怖くてしゃがみ込んで母親の迎えを待った。陸前高田市小友町 2011
亀井蒼太(8) 自宅の少し下まで津波が来た。サッカー選手になりたい。陸前高田市高田町 2011
亀井蒼太(8) 自宅の少し下まで津波が来た。サッカー選手になりたい。陸前高田市高田町 2011
戸羽輝希(6) 保育所で被災し、自宅は流された。父は電器店を営む。。陸前高田市高田町 2012
戸羽輝希(6) 保育所で被災し、自宅は流された。父は電器店を営む。。陸前高田市高田町 2012
2011年3月より通い続ける場所、岩手県陸前高田市。「どうして陸前高田なんですか?」と聞かれることがあるが、震災がなければ陸前高田を訪れることはなかっただろう。大きな理由はない。ただ、出会いや、つながりなど小さなことが積み重なることで、陸前高田に想いを抱くようになった。 私にはかつてあった街を想像することしかできないが、この先の未来を彼らと共に見ることは可能だ。 
願わくは、順当に歩んだであろう人生を図らずも狂わされた、子どもたちが成長し、次の世代に何かを繋ぐまで私は関わり続けたい。

Rikuzentakata City, Iwate prefecture, where I will continue to follow from the Great East Japan Earthquake in March 2011.
Rikuzentakata is the place where the town was destroyed by the tsunami.
Dead missing people were over 1,700. This is about 8% of the population.
“Why is Rikuzentakata?” Asked by people.
The first time I visited was a photograph request from a weekly magazine.
Before the earthquake, I did not know Rikuzentakata. If it did not have the Great East Japan Earthquake, it would not have visited Rikuzentakata.
There is no big reason, but it is accumulation of encounters and connections.
I can only imagine the city before the earthquake. However, it is possible to see the future in the future with them.
The wish is to change the life by the Great East Japan Earthquake, want to see the children grow up.
And I want to keep involved until they connect something to the next generation.
Camera Hasselblad 503CW
Lens Planar 80mm F2.8 T*
Film Fuji PRO400

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